幼少時代からいったい何度ぶつけてきたか・・・
一番身近なテーブルから注意を受ける。笑
これが、結構痛い…
身近にありすぎると気づかない事が、いくつか出てきます。
- 慣れに対する軽視
- 「大丈夫だろう」という安易な心
- 感覚に任せ過ぎて、目視しない「生き急ぎ」
- モノに対する愛着
ちょっと、意識が薄れがちな視点を書いてみました。
はて、なぜ意識が薄れるのか?
- 自分に関係のないことに気が向かない
- 「意識する」ということへの認識がない
- 視点が低い
意識と無意識
人間は、都合が良いので自分勝手。困った時の神頼み。
何かあった時に気づき、動く。(動く方は、まだいいかな。笑)
昔で言うと「意識する」は、「気が利く」とか「おもいやり」という一面でしょうか。
生きるギアを5速から、1速でも落としてみると
色々見えてきます。
視点を高く、俯瞰して見る
スピードが早すぎると見えるものも、見えません。
ところがスピードを落とすとゆっくりと変わって来ます。
視点が変わってくるからです。いい例が、ひとつ。
「視点を低く読む」と視野が狭まります。
視点を高く持つと色々と目に入って来ます。
その分見落としが減るのではないでしょうか?
- ちょっとした気づかいをする
- 速度を変える
- 視点を変える
この習慣と継続が、意識を変える「きっかけ」になるかもしれません。
些細なテーブルのカバー一つの心づかいが、
いつの間にか、テーブルに対する愛着を生み始めます。
「いつもありがとう・・・。」と…
今年もあと数日。
身近な存在に目を向け、「ありがとう」とつぶやいてみる。
すると自然と「ゆっくり」とした
自分の動きを感じる事ができる
みなさま、いつもお世話になっております。
ありがとうございます。
感謝